わたしが自分を見失った原因と本来の自分を取り戻すためにしている事

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先日、X(旧Twitter)で自殺未遂の後遺症に苦しんでいる人についての投稿を見ました。

意識はあるものの寝たきりで、話しかけると涙を流すという意思表示しかできなくなってしまった人についての投稿でした。

その投稿を読んで、子どもの頃に自傷行為を繰り返していた記憶が蘇ると同時に、「自分なんかいなくなればいい」と思っていた過去を思い出しました。

いじめをきっかけに始まった自傷行為

子どもの頃、「死にたい」「自分なんていなくなればいい」と腕に跡がつくほど爪を立てたり、壁に頭を打ち付けたりと、いわゆる自称行為を繰り返していた時期がありました。

きっかけは小学校低学年の時に突然始まったいわゆる「いじめ」です。

初めは親にバレないようにしていましたが、学校に行くのが辛くなり、「同級生にいじめられているので学校に行きたくない」と母に訴えたことがありました。

その時の母の反応は冷たく、「休んでもどうにもならないし、馬鹿なこと言ってないでさっさと学校に行きなさい」とわたしの訴えは一蹴されました。

そう言われた子どもの頃のわたしは、母に見放されたと感じました。

後に母にその時の対応について尋ねたところ、「自分の子どもが他所の子どもに負けるのが嫌だったから」とのことでした。

それを聞いて、母は我が子の気持ちよりも自分のプライドを優先していたのだと妙に納得しました。

いじめられていると母に思い切って打ち明けたのに、気持ちを分かってもらえないどころか、いじめられる原因が自分の性格にあると責められたことが辛く、自分は母にとって大切な存在ではないのだと感じた出来事でした。

当時、本当に「死にたい」と思っていましたが、いじめられたことよりも母に見放されたことの方が辛かったのだと後になって分かりました。

その結果、自分の意志を伝えても無駄だと悟り、それから本心を誰にも言わなくなったように思います。

幼少期に母や兄弟の暴力で言うことを聞かされていたため、自己肯定感が育たず、自分を押さえていた事がストレスとなり、そんな心の中に気づいて欲しくて自虐行為をしていたのだと思います。

小学2年生ごろから始まった自傷行為は、学年が上がるにつれてなくなっていきましたが、その当時のことがずっとトラウマで、元々明るかったわたしの性格は、内向的になっていきました。

中学時代は人が怖く、特定の友人以外の人間との交流を控えていました。

高校に入ってからはクラブ活動を始めたことで、新しい友だちができ、まだ内向的ながらも少しずつ性格も明るさを取り戻していきました。

高校時代は家族との交流はほとんどなく、友人が中心の人間関係だったこともあり、穏やかに毎日が過ぎていきました。

社会人になり、結婚して子どもができ、家族との交流が増えるにつれてはまた親兄弟からの干渉が激しくなり、親兄弟の機嫌を損ねないようにずっと暮らしていましたが、ある時を境に家族から離れることになりました。

現在の状態

現在親兄弟とは離れて生活し、連絡を全く取らなくなってからは、自分を取り戻しつつありますが、未だに自分の気持ちよりも他人の気持ちを優先する行動をとってしまうことは多いです。

自己肯定感が低いまま大人になり、自己表現の方法を忘れてしまっていました。

思えば、物心ついてからずっと何がしたいとかどこに行きたいとか何を食べたいとか、何を聞かれてもなんでもいい、どこでもいいと答えていました。

自分では本当になんでもいいとその時は思っていたと感じていた(表現が難しい)のですが、よくよく考えると自分の希望が全くないなんて、そんなはずはないですよね。

子どもの頃から自分の意見が受け入れてもらえない事が多く、自分の希望や意思を伝えることを諦めていた事がずっと癖になっていたんです。

最近まで自分の意見を言うのはわがままだと思い込んでいたのですが、意見や希望を伝えることと自分のやりたいことを押し切ったり押し付けたりとは違うということに気づいてからは、できるだけ自分の要望は何かを考えて伝えられるようになりました。

答えが出ないこともまだ多いですが、人の意見も聞きつつ自分のことも考えられるようになってきました。

大人になってからの母との関係は、母の情緒が安定している時は良好な時もありましたが、母の情緒が不安定な時はどうしても衝突してしまう事がありました。

兄弟とは元々関係が悪く、子どもの頃から常に機嫌を損ねないように気を使っていました。

そのためわたしは定期的に鬱っぽくなっていましたが、家族の前で弱いところを見せるのはわたしの中でタブーだったので、精神的に辛い時も普段通りに振る舞っていました。

今は家族とはほぼ縁を切った状態なので、気を張っていなくてもいいことで精神状態は安定しつつあります。

よく言われる「家庭は安心できる場所でないといけない」とは真逆で、皮肉にも家庭はわたしの中では1番安心できる場所ではありませんでした。

もちろん楽しい時もありましたが、常に気を使ってないといけない関係だったので、機嫌を損ねると最後、本当に地獄でした。

家を出る少し前からパニック障害のような症状も出だしていたので、あのまま親兄弟のそばにいたらと想像すると、あの時離れて本当に良かったと思います。

自己肯定感を取り戻し、人並みに自尊心を持てるようになれば、再び家族との交流が再開できるかもしれませんが、いつになるかは分かりません。

それでも、自分らしく生きる選択をしたことに後悔はありません。

まとめ

この文章を書いていると、涙が込み上げてくるということは、子どもの頃からの辛い経験が今でも癒えていないからだと思います。

だけどもうわたしは小さな子どもではありません。

アラフィフの立派(?)な大人で、自分の機嫌は自分で取れる年齢です。

最近では、ビジネスホテルでお酒を飲みながらNetflixやYouTubeを観て1人で過ごすことが1番のストレス解消です。

いわゆる「ひとりビジホ飲み」です。

初めてひとりビジホ飲みをした翌朝、今まで感じたことがない感情になり、とてもスッキリしました。

また次のビジホ飲みに向けて仕事を頑張るという目標も出来たので、毎日が楽しいです。

これから先少しづつ自分を取り戻しながら、人生を終えるまでには親や兄弟と交流ができるようになるまで回復出来ればいいなぁと思います。

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